2012年5月9日水曜日

大久保はツツジの里でした


僕が転校3回目の新宿区立戸山小学校は江戸期か明治期に大久保のつつじ園が付近にあり、その名残のツツジ園と迄はいかないがツツジが校門の脇に植えやられていた。今時分になるとそれと校章がツツジの花の真ん中に戸であった事を思い出す。明治期に三四郎さんもお住まいだった場所ですが最近の大久保から新大久保その先まで韓国租界のようで韓国の品物が売られ、婦女子が大挙して押しかけている。今ででも中国からの旅行者は日本国内で製造された 製品は品質が良いと買いまくっているのに韓国製品を買い出しに出掛けて来ている、我らが戸山小学校へ通った道は日本語がうまく通じない店が並んでいる、かっての級友は何処で商売しているのだろう。
心配するのは大久保と竹島は韓国固有の領土だと言われないかだ。


ツツジ咲く我が通学路韓の国   枯沼


2 件のコメント:

治 さんのコメント...

よくおぼえていますね。
真鍮製の真ん中の「丸に戸」の浮き彫りは思い出したが,
周りのツツジの花の形状を思い出せない。
その「丸に戸」だって
貴兄の文から勝手に創作をして
「思い出した」と思っているのかも知れない。
これは三十年か前のことだが,
まだ大久保の商店街が元気だったころ,
韓国語や中国語の街頭放送を聞いてビックリした。
すでに今の有様の兆候はあったのです。

さんのコメント...

治 様

 覚えていたのは同窓会誌とやま のありかです、ここで校章を確認しましたが記述が不正確でした。校章中央の戸ですが隷書体なのでしょうか戸の上の「ノ」が反対向きです。
柏木に国際学友会館があり東南アジアの留学生が大勢歩いていましたから下地があったのですね。僕は就職し家を出ましたので街頭放送は気づきませんでした。完全に占領されて面影無しですね。