2011年12月31日土曜日

卯年よさようなら

今年は72歳を迎えた、次の卯年を迎える事はまずないだろうし、よしんばあっても現在の呆け方から見てblogを書いたり意思疎通を交わせる状態ではないと判断出来る。
写真の兎は中国明時代の銅製香炉の絵葉書を出光美術館で買ったものです、きっと月を見上げているのでしょう、もう一匹の表情からは大丈夫と心配しているように見え僕には二匹とも現在の状況を憂いているように見えます。
国を破綻に導いた野党が国家の危機に協力せず能天気な事を主張している、与党は未だ野党の積りで大震災と原発事故に対応している国を心配しているように感じます。


アフリカ大陸を除いた世界各地からこの一年ご覧いただいた皆様に感謝し、来年が皆様に佳き年となる事を祈念します。


明るいは日差しだけなり大晦日   枯沼

2011年12月30日金曜日

穏やかな暮



鳰(カイツブリ)

ハシビロガモ

昨日までの冷え込みが一段落し比較的暖かい朝だったので鳥見に神田上水を遡り出かけた、風が少し強く冷たく鼻を刺激して難儀したが体が温まり汗ばんでくると鼻汁も止まりのどかな暮の散歩となった。公園に着くと人が少なく静まり返った池ではカモやカイツブリ、オオバンが群れておりカイツブリが時々啼く声が公園の木々に響き如何にも冬の朝を演出していた。
普段の休日だと犬を連れた人が多く出て歩くにも迷惑な事が多いのだがそれも無く鳥見には快調だったが肝心の鳥が少なくて虚しい。
噴水の水滴に低い鈍い朝日が当たりかすかに虹が出ているのだが気づく人もいない、のどかよりも真冬の朝と言った方が正確だろう。
何処へ行ってもヒヨドリが目立ち他の鳥は何処にいるのだろうか、それを求めて玉川上水を下って来たがエナガ、メジロ、シジュウカラ、コゲラしか会えなかった。

鳰啼いて虚しく聞こえ冬の池    枯沼 

噴水の虹


2011年12月29日木曜日

どうして野鳥に分かるのかな

12月18日にやっと富士山と云う題で柿の実がなる背景にわずかに富士山が写る写真を載せたが、その時の柿の実は鈴なりで一羽も鳥が来ていなかった。
それが一昨日医者様からの帰りに通ったらヒヨドリ、メジロ、スズメが群がり柿の実をついばんでいる。
どのように連絡が着くのか知らないが凄い数の鳥だ、この季節食べ物が無いから鳴き声で知らせるのか。以前にも書いたがどのようにして食べ頃になったと分かるのだろうか不思議で仕方がない、どのようなセンサーを持っているのだろうか、それともある程度熟れると毎日少しずつ味見をしている鳥がいるのだろうか。
この木ももう二三日すればヘタが枝に無数付いた柿の木になるだろう。




日めくりが三枚残り屠蘇求む    枯沼

2011年12月28日水曜日

フクジュソウが咲いた?


公園の水棲園の花壇に黄色い花が咲きかけていた、どうもフクジュソウらしい、正月の縁起物でフクジュソウを小さな鉢に植えたものが売られるが、それには青い葉が出ているがこれは花だけだ。
検索をかけてみても立派に咲いた花しか出て来ない、北海道で春になりフクジュソウが咲いたから見に行こうと誘われたときは確かこのような花だけだったと思う。、花壇にはスミレなど春の花が植えられ名札がついているがこれだけつけられていない。
フクジュソウが年内に咲くのは早すぎるのでは、縁起物は温室栽培のような気がしたが記憶が間違っているかもしれない。


松飾売る鳶一人ビル影に    枯沼

2011年12月27日火曜日

寒い朝

薄い霜柱
今朝も寒い朝だった、わずかに残っている土に霜柱が立っていた。
持病の鼻炎がひどくなり堪らず医者様で鼻汁を止める処方をしてもらった。霜柱は畑がそこいらにあった頃は珍しいものではなかったし未舗装の道路でも学校の校庭やグランドも冬になると出来ており陽が当たり融けて来ると大変、体操の授業は体育館が無い時代だから目も当てられなかった。
北緯45度の中頓別では国道に霜柱の親方、凍上が出来てうかつに走ると事故を起こしかねなかった。アイスバーンの道路が30Cmも盛り上がっており前方をよく見ていないと突然出現し回避に泡を食った。また家が傾いたり戸が閉まらなくなったり大変な霜柱だった、こうなると寒い朝なんて暢気なものではない、ひどい時は冬中盛り上がっていた。
余談ですが寒い朝を昔歌っていました。


公園は他人蹴散らして霜柱  枯沼

2011年12月26日月曜日

医者様巡り

早い医者様は28日から来春5日まで休診になるので薬の処方箋を貰いに出かけた、内科は混んでいるが奥方先生の患者が多く僕は受付したらすぐに呼ばれた。逆流性食道炎が快方に向かっている事、鼻炎がひどくなっている事を話し聴診、打診、脈拍、血圧の診察を受けて鼻水止めと逆流性食道炎は継続した方が良いとの見立てで処方して貰った。泌尿器科は電話で様子を聞くと凄い混雑、それでは処方箋だけ書いて貰う事にして1時間後に行ったら同病と思しき老爺20人以上が座っていた。


ところで人気の無い私大講師もしている僕の医者様は必ず打診・聴診・脈拍を診る、そして深呼吸が弱いともっと深く呼吸してと注意するが家人によると診ない医者様が多いそうで家人のかかりつけの某国大教授も診ないで口頭問診だけだそうだ。
医者様へ行くと腹を出して聴診され背中を打診し脈を診るのが定番のようだったが。


餅搗くと寂しき街に米屋あり    枯沼

2011年12月25日日曜日

くろがねのとびら



昨日の続きみたいだがクリスマスで思い出すのは賛美歌「もろびとこぞりて」に「くろがねのとびらうちくだきて とりこをはなてる しゅはきませり」とありました。僕はくろがね の意味が分からず当時あった
オートバイだと思い、オートバイに無いはずの扉をどうするのだろうと考えた。母にくろがねのとびらは何かと尋ねたら鉄の扉と教えてくれた。鉄の扉ってどんな扉か空想を重ねた、戦後すぐの子供の知識で鉄の扉は想像出来ない、扉は木製しか見た事が無いからだ。確か教会で同じ質問をした時に大きな西洋の城門に黒い大きな扉があり、これだと戦前の絵本を見せて貰い納得した。
季節が来て もろびとこぞりて を歌う時にいつも思い出します。


駅中やサンタ並んで菓子売りて    枯沼

2011年12月24日土曜日

飼い葉桶と打たぬ藁

今夜はクリスマスイヴ、夕方礼拝に出かけた。
前から思っているのだが賛美歌の歌詞が変わってしまい歌いにくい。賛美歌を見れば新たな歌詞が書いてあるから良いのだが覚えている歌詞の方が馴染みがあり捨て難い、例えば 「きよしこの夜」だが きよしこの夜 星は光り すくいのみこは まぶねのなかにと変わり僕の脳裏にはみははの胸にと記憶している。
イエスキリストは飼い葉おけの中に打ってない藁を敷き寝かされていたと日曜学校の時から聞かされてる、史実に正確かもしれないが変える必要があったのだろうか。
馬槽と書いてマブネだがわが愛する広辞苑には載っていないのだ。
帰宅し家人に話したら彼女も前の方が良かったと思っているらしい。


蝋燭の揺らぎかすかにクリスマス    枯沼

2011年12月23日金曜日

落ち葉が飛んで

イチョウ、ケヤキ、モミジ、ニセアカシア、プラタナスなどが昨日今日の冷温に急に落ち葉になって散り始めた。学校の脇を歩くとイチョウの落ち葉の吹き溜まり、庭からはケヤキ、歩道では街路樹の葉が強い北風に吹き飛ばされて飛んでくるのでゴミだらけになってしまう。
まあ急に寒くなったから木の葉も急枯れて落ち葉となった、凄い時間遅れの落ち葉だが風はかなり冷たくて鼻水が出て来ていけない。
それにしてもおびただしい量の葉が路面に散乱したものだ、この二日くらいで一気に落ちてしまったから片づけるのが大変だ、なんせたき火で落ち葉の処分が出来ないから。


寒風に頬紅くして子ら群れる  枯沼

2011年12月22日木曜日

公園の大道芸

鳥見の公園は大きな池があり川の水源になっている、この池を取り囲むように歩道があり一部は広場もある。広場には休日になるとガラス細工、犬の洋服、似顔絵かき、首飾りや首輪、小さな観葉植物などを売る露店と大道芸人が出ている。中にはテレビで取り上げられ「ウエスタンの弾き語りの有名人」がいるが風船細工、漫画を朗読してくれる、ヴァイオリン弾き、電子ピアノで弾き語りなどの芸を演じている。多分普段は別の仕事をしているのであろう、プロになる為に度胸をつけようと公衆の面前へ出て来ているような気がする。
中には何重にも人垣が出来ているものもあれば誰もが黙って通り過ぎるのまで様々、帽子や楽器のケースに呼び水の銭をばら撒いて某か稼ぐものもいる。
週日の昨日、常設舞台の衝立の隙間に舞台を設えた世界でただ一人顔面紙芝居と称する芸人がおり、この寒空に観客が二人開演を待っていた。


冬至の陽鈍く光りて影も無く     枯沼

2011年12月21日水曜日

明日は冬至


明22日は冬至、東京で16時32分には日没でそれ以降約30数秒ずつ日没が遅くなってくる、脇にある暦で日の出と日没の時刻を毎日見て下さい、気づかなかった変化が分かるでしょう。
冬至にはカボチャを食べた、夏から貯蔵され味の変化まで起きているようなカボチャ、現在のように冷温貯蔵など夢みたいな時代でしたから。
昨日もかぼちゃの煮つけを食べたが新鮮で甘くほくほくして美味しかった、きっと南半球の国から輸入されているのだろう。
カボチャは夏の野菜だったが季節の区別がなくなり何時でも食べられ季節感がなくなってしまった。
冬至の風物には柚子湯もあるが我が家では何故かしたことが無い。




香り好しヒヤシンス咲き冬日射す   枯沼

2011年12月20日火曜日

青汁

ウグイス
近年青汁を飲むのが健康に良いとチシャ、オオムギの葉などを粉末にしたものをテレビで宣伝販売している、我が家でも娘が飲んでいたが現在も続けているのだろうか。
 僕も青汁と称して茶葉を粉砕したものを飲んでいる、茶葉の粉末は抹茶があるが、あれは高級な茶葉を石臼で擂潰したもので僕のは高速回転する刃で切り刻んだものでして茶の組織が殆ど壊れていない。
 これを朝食後粉末のまま茶匙半分くらい口へ放り込み、他の服用薬と一緒に水で飲み込む。
 原料はスーパーで一番安い茶葉一袋買い求めてつくる、効能は腸の調子が少し良くなり都内某所のお世話になる機会が減った事です。
 写真はウグイス、絵画には抹茶の色のように描かれているが本物はこれで公園や庭の笹や茂った下草の中の虫を探し回ります。


鳥がいて笹揺らし行く冬昼間

2011年12月19日月曜日

柚子切り

流れるイチョウ葉とコサギ
夕方から画伯の音頭でシニアーの仲間が集まった、僕としては例会へ参加していないので久しぶりの方もお出でだった。神田のまつやで板わさ、湯葉、身欠きにしんなどで喋りながら一杯飲んだ、話題は家族の事がほとんどで我が家同様お嬢さんが結婚しないし多忙で帰宅が遅い、お孫さんの面倒を見に出かける等々、それから店に来合せた権太楼さんにちなんで落語の話題が少し。皆さん蕎麦つゆをたっぷり浸けて死に際もい残す事が無いようでした。
ところで今日から五日間恒例の柚子切り蕎麦を出すのを目当てに昼間から年寄りで混んでいた、久しぶりに柚子の香りがほんのりと香って美味かった。


柚子切りの香りたちおり年迫る    枯沼

2011年12月18日日曜日

やっと富士山

昨日、出かけたもう一つの目的は富士山の写真を撮る事であった、我が家付近の富士見が丘は古来からの富士が見える名所であったらしく地名の由来の江戸期の祠だけが証明している。
それでも少しは見える場所があり寄り道して少し小高い場所へ行ってみたが写真の如くで井の頭線の線路の向こうに見えたはずが建物が出来てしまい頂上部分だけ真っ白に見えていた。
ここの柿も未だ残っている。
Yさんが伊豆半島の巡礼で駿豆鉄道と富士山を綺麗に撮られている写真を今朝見て富士を見るならやはり幼少一時期過ごし家から見えた駿河の国へ行かなければ見られ無くなったのかと思った。


白富士が姿床しい富士見丘    枯沼

2011年12月17日土曜日

これでも渋柿

写真のごとき快晴にSoftbankへ用足しと郵便会社の支店へ年賀状を買いに行った、片道5000歩くらいの距離があり風は寒いがジャンパーのお蔭で汗をかいてしまった。
Softbankへは娘が新しいIphoneを買うから古いのは家族限定で電話代二年間無料で使えるから私にくれると云うので状況を聞きに行った。
商売がうまい、タダ同然なのだが電話番号とメールアドレスが変わるのだ、つまり新たに購入するのと同じ事、座して美味い話しは無い。
帰りがけに通った神田上水、歩道にせり出して柿がたわわになっているが人間も鳥も獲らない、この時期になっても見向きもされない柿の木は他にもある、多分年が明けて20日くらいしたらヒヨドリが大騒ぎするだろう。


寒風に柿の実静か時期を待ち   枯沼

2011年12月16日金曜日

本当かな

区民検診で医師は「メタボに該当せず」と判定したにもかかわらず、区から先日メタボの通知が来たので抗議した、これから業者から何通も通知が行きますので止める手配をしておきますと回答された。
しかし業者である区内の私立病院の栄養指導センターからメタボ改善栄養指導を受講しろと通知が来た。
メールで区役所へ個人情報がどこから漏れているのか問い合わせたら区民検診の係から電話が来て貴方は血圧が130-80だからメタボに該当するから業者から連絡が行った、情報漏れではないと言う。
先に抗議した時に区役所にデーターが無く業者へ丸投げしている節の回答があった通りで、業者へ流してしまったのだろう。
医師の判定が「メタボ非該当」になっているのだから正確に見ていれば間違いは起こらないはずだし情報漏えいしないはずだ。要するに医師からの報告を区役所では見ておらず業者任せの気がしてしょうがない。


落ち葉落つ屋根樋庇区別せず  枯沼

2011年12月15日木曜日

駅ホームで居眠り

今朝温いので9時出発で鳥見に出かけた、珍しい冬鳥はいなかったが紅葉を背景に数種類の鳥を撮る事が出来た。公園の色々な場所へ歩き回り冬鳥を探したので少し疲れたためだろうか、帰りみち駅ホームのベンチに座り10分後に来る電車を待っていた、陽光が当たり風も無く温かでうとうとしたらしい、目が覚めるとホームに人はおらず時刻は15分経過していた。急行の通過と各駅停車が来たのを気付かなかったのだ、僕は真昼間このように眠り込むのは初めての事、午後3時45分頃に10人しか乗客がいない静かな駅が都内にあるのだ。
写真は今が盛りの紅葉・・・・・今日正午、公園の茶室入口


つわぶきの楚楚たる姿かぜ温く    枯沼


鳥見の方も新しくなっています。

2011年12月14日水曜日

鼻汁

ラクヨウショウの紅葉
冬が急に来て冬に決まって出て来る鼻水が今冬も例外ではなく困っている。
鳥見をしながらハンカチを出し洟を拭わなければならない、不愉快極まりない。鼻水を止める売薬はあるが飲むと別の方に影響が出て来るので我慢している、医者様へ行けば少しは緩和する薬を処方してくれるが、これくらい我慢しなるべく薬を飲むのを控えようと思っている。効くものがあれば服用すべきだと言う意見もあるが・・・・。


寒さ来て落葉松凛と立ち    枯沼

2011年12月13日火曜日

冬景色


昨朝玉川上水を遡って歩いていくと道に霜柱が立ち日に当たる部分は既に融けて靴底にくっつく状態をよけてよけて歩いて来た、久しぶりの冬の霜柱道歩きだ。
暫く進んで行くと水たまりに氷が張っていたが既に割られていた。  僕も子供の時に水たまりに氷が張ると登校途中で割って遊んだものだ。
この付近にある鳥見の畑に麦が撒かれ少し伸びて来た、まもなく麦踏をするだろう、しないと土が乾燥し根が浮いて枯れてしまう、霜柱も影響するのだろう。
猫の額ほどの畑で収穫出来る麦は2,3俵と云うところだが、何の目的で作付けしたのだろう、小学校に頼まれたのかな。


麦の芽や寒風突いて真っ直ぐに 
                  枯沼

2011年12月12日月曜日

十社巡り



富岡八幡の入り口に写真のような看板があった、調べると昭和天皇即位五十年を記念して作ったそうだ。今回の仲間に老人優待のバスと都営地下鉄に乗り都内をほっつき歩いている方もいて都内75大学へ行って学食を食べて来るらしい。そのような人向きの企画だと思いメモ代わりに写真を撮って来た。
場所が比較的偏っているので行きやすいだろう、うまくすれば一日で巡れるかもしれない。
トライしてみてください、我が家からはバスでは無理ですから鳥見に飽きたら一か所ずつ史跡めぐりとして行きましょう。江戸期からの参詣と江戸っ子の話題と落語に出て来る有名な神社ばかりですから趣もあるでしょう。
http://jinja.goods2008.info/


 金色の神輿と落ち葉色同じ   枯沼

2011年12月11日日曜日

深川八幡横綱の碑

横綱の碑全景


歩く最後は富岡八幡にある横綱の碑を見に行った、最近大関の碑が参道にあり横綱は昔からの神社の裏側で付近に住んでいたころは知る人ぞ知るような状態だったが、今回行ってみると新たに石碑が足されて江戸時代に建立されたのかと思ったが明治33年であった、初代明石志賀の助から69代白鵬まで刻まれていた。


夜来雨銀杏葉散り横綱碑  
                 枯沼
碑文

地球の影の記録


22時01分

22時07分
 昨夜晴れていたので気まぐれで地球の影を撮ってみたがg-mailは
気まぐれできれいに並んでくれない。
22時7分まではデジカメ、それ以降はデジ一でISO3200で撮ったので露出過度で鮮明さに欠けました。
22時37分



22時39分
22時40分
23時05分

2011年12月10日土曜日

斬新な建物

新本堂
深川不動尊へ行った、ここは江戸期の成田山の出張所が東京別院になったそうだ、この付近にかって住んだことがあるが参道の店が心なしかさびれていた。
本堂の脇に新本堂が出来ていた、この建物の壁が斬新で梵字で被われている、ただ並べただけでなく意味があるように並べられていると言うか書かれている。正式には真言梵字壁と言われるそうで建物の左から一行「のーまく さんまんだーばーざらだんせん だーまー かろ しゃーだーそゎ た や うん たらたーかんまん」と一文字ずつ並べられ上まで何十行か祈りの言葉が書かれており祈りの言葉で包まれた空間ですと貰った説明書に記載されていた。
祈りの言葉を並べた建物は下から2行は金文字でアクセントを取っており見ごたえがあり、彫像や彫刻や絵はあるが文字を一字ずつ並べた壁は何処かの国にあるのだろうか、なおまだ未完成のようで落慶法要は来年9月らしいです。


鰻屋が窓閉め焼いてる寒さかな   枯沼

貰った説明書

2011年12月9日金曜日

最後の紅葉見物

清澄庭園

今朝は雨に雪が混じり霙となったが出かけた9時半ごろには止んだ。
清澄庭園へ元会社の仲間が6名集まり最後の紅葉見物をした、9月に今日が紅葉のピークと推測し同期会を設定したが
今週2回も雨が降り予想外の落葉がはじまってしまい若干ピークを逃してしまった。清澄庭園は岩崎弥太郎さんが寄付した庭園で高価な庭石がたくさんある。このように大きな重い石を江戸時代によくぞ運んできたものだ。
回遊式庭園
また芭蕉が奥の細道へ旅立った場所が園の端の方にあり「古池やかわず飛び込む水の音」の石碑が建っていた。公園の中を見て深川不動、富岡八幡宮と横綱の碑などを歩いて見て回り昼食を摂り店を出たら太陽が出て風も暖かく朝の霙が嘘のような光景だった。

2011年12月8日木曜日

壊れて消えた瞬間

昨日公園のグランドで子供がシャボン玉を飛ばして遊んでいた、鳥見の途中だったが飛んで来たシャボン玉を写るかどうかわからないが撮ってみた、ファインダーを覗いて連写していたらシャボン玉が壊れた、それが写っていたのです。写真画面右上の玉の右下に壊れた瞬間が画面を擦ったように見えるのがそれです。
○や→で指したいのですがそれがないので見難いですが目を凝らしてご覧ください。


冬鳥や冷えた空気に誘われて   枯沼

2011年12月7日水曜日

いました金太郎

郡山駅東口へ通じる長い連絡通路を歩いていくと網ガラスが入った窓が幾つかあり橋の半分くらい行った処で窓から外に石油タンク車を連結したでんかん(貨物電気機関車)が見えた、最近の電関は
非常にカッコいいしデザインも素晴らしい。これは金太郎のマークがついた二両一編成の凄い牽引力がある機関車、この他に雷神のマークを付けた優れものもある。
旅客列車が電車か気動車になり客車を電関が牽引する事が無くなったので電関を見る機会が無くなった、マニアは大勢おられて検索すると動画もあります。
JRの駅へ行かれたらたまには童心に帰って貨物列車を見られることをお勧めします。


冬空に満持し待つ金太郎   枯沼

2011年12月6日火曜日

若ものどもが夢のあと

若者どもが夢のあと
天秤台



葬儀の後、旧友が工場を壊しかけているから見て行かないかと誘ってくださったので元同僚と出かけた。建物はそのままであったが場内は照明設備まですべて撤去され機械装置搬出のため壁が壊された個所もあった。昭和39年に内部が完成した時とほぼ同じ状態、機械装置の搬入据え付けをした時や試運転の苦労、製造可能と判断した時の事が懐中電灯の照明の中で浮かんで来た。
試験室へ入ってみるとアンカーを打ち振動防止した頑丈な天秤台が残されていた、入社二年目の若造の要望を聞き入れて買ってもらった福島県で初めてと言われたスイスメトラー社製直示化学天秤が置かれていた場所で汗と手垢がしみ込んでいる、僕が最初に設計した検査室は拡張されて面影はこれしかなかった。
当時の会社はよくぞ入社二年目の若造を最先端の工場を作る時から参加させてくださったものだとただ感謝するのみで、昨日は一緒に働いていた皆様、協力して下さった方々に有難うございましたと一礼し退出した。


冬温く若者どもが夢の跡    枯沼 

2011年12月5日月曜日

白河の車窓景色

新白河から奥羽山系の雪雲
東北新幹線で郡山へ出かけた、当たり前の事だが那須の坂を上ってくると雪雲が奥羽山系を覆っていた。郡山へ着いたら予想通り温い寒さが迎えてくれた、47年前に赴任したころ冬は根雪が積りゴム長靴を履き続けた、しかし温暖化が僅か40年くらいで根雪が消え奥羽山系の雪も極めてわずかで安達太良山の頂上付近にかすかに見られた。このように温暖化が進むと将来どうなるのだろう、過去に勤務した北海道北部が住みやすい場所になり日本から酪農が消えてしまうかもしれない。
郡山名物の風花も耳が痛い冷たさの風も吹いておらず現代の寒さだった。


初雪を期待すれども裏切られ   枯沼

2011年12月4日日曜日

散髪

9月末息子の結婚披露宴の前に床屋へ行ったら芝を刈るみたいに刈られてしまい延びるのを待っていた。暮に入り床屋も混みだすだろうから、そろそろと思っていたので娘に刈ってくれないかと頼んだら
引き受けてくれ家人曰く床屋よりうまく刈ったという。僕は恰好を気にしないからタイガーだろうが縞だろうがかまわないのだが我が家の二人はうるさい、長短、左右のバランスとか。しかしあるべき量のものが抜け去っているので調整が大変だと言う、親の頭を刈って初めて知る禿具合なんて川柳が出来そうだ。
あわてて書きかけで外出しましたので中途半端で駄句もありませんがコメントまでいただいたのでこのままにします。22時27分

明日は日帰りで郡山へ葬儀に出かけます。

2011年12月3日土曜日

真昼の星

マユミの実を食べるコゲラ
南中を検索していたら星座表が出て来て現在地と年月日と時刻を入れると大まかな星座が見られ惑星や月、太陽の位置も分かる優れものだ。ここへコピーして貼り付けようと思ったが事情があって止めた。東京の真昼にしてみたら当然であるが星座が出て来た、僕は皆既日蝕で真昼の星を見た事が無いので未だかって星座はおろか真昼の星を一つも見た事が無い。白昼肉眼で星が見られるのは日蝕と彗星以外はあり得ない事だから一瞬でも地球最後の日のような大事件が起きるだろうから見たくない。


冬雨の激しき夜は湯に浸かる    枯沼

2011年12月2日金曜日

今年の暦も月めくりは一枚、日めくりは30枚となった、このblogの脇に暦を貼り付けましたが理由は私の好きな月の満ち欠けと農歴が分かるからです、今は釣りもやらず天体観測をやっているわけではないのだが月の満ち欠けが空で見られないので月齢暦で我慢している、好奇心の旺盛な方はこの暦の場所を種々の地域に設定すると昼と夜の時間が変わる事を試されたであろう。
稚内と那覇では昼の時間が1時間30分以上違う、朝テレビを見ていると各地の風景を写して天気の実況をしているが西の方は夜が明けたばかりで街燈が輝いて見える、まさに列島だと云う事なのだろう。
おまけだが自分の生まれた日が旧暦で何月何日かも分かりますよ、もうひとつ来年の旧正月は1月23日ですから中華圏や東南アジアへ旅行する人は祭日で人々が移動することを頭に入れて旅行計画を立てた方が良いですね。


雑踏に手袋落ちて気づかれず   枯沼

2011年12月1日木曜日

季節の暗転

家人が丹精し今年も咲きました
昨日夏のようだと思った季節が今朝新聞を取りに出るとさすが師走、寒さに縮み上がった。
小雨も降っており二十数年前に台湾へ赴任したが冬はちょうどこれくらいの気候で暖房が無い国で寒かった。冬になると灯油ストーブや電気ストーブが欲しいと思ったが暖房器具が無く買えなかった、帰国する頃には売り出されていたが先ほど歯科医から帰る道すがら吹く風と雨の感じから思い出した。(今夜は台湾時代の友と一杯)
日頃気温が高いから冬の野鳥が来ないと嘆いてはばからなかった事と矛盾する話しだが冬の寒いのが大嫌いなんです、最近は足に霜焼けが出来るようになり体に異常があるらしいが皮ふ科泌尿器科の医者様も真剣実が無かったし命とは関係ないようなので放置してあるが季節の暗転はうれしくない面もあるのです。


師走来て大売出しの飾りあり    枯沼

2011年11月30日水曜日

あすはしはす

はやいものであすはしはすですね。
エルニーニョーの反対の影響で高温多雨だと台湾の電子版新聞が今朝報じていました、毎年エルニーニョか反対に影響され安定した気候の年が無いように感じるが如何なものでしようか、そのために
紀州や越後、会津で大水害がありダムや水力発電所がやられて東北電力は電力量不足になってしまった。人間が地球温暖化させたためにエルニーニョだとか反対が生じやすくなったのか?
暦を見れば季節が分かると言うか季節と一致した暦はもう来ないのだろうか、ここ当分は痛んだ原発が動かせないだろうから暖かい冬が良いかもしれないが人間としてみれば季節にメリハリをつけてほしい。


  一枚となりし暦や肩に塵     枯沼

2011年11月29日火曜日

バターが無い

先週家人が放射能の影響でバターが何処にも無いと言う、そんな馬鹿な事があるかと返事したら、兎に角何処かで買って来てと言われ吉祥寺、西荻の店を見てみたら棚は空でお一人様一個限りの札を貼ってある店もあった。
とある店で何個限りの制限がも無く棚にあるので4個買って来たら何でそんな高いものを沢山買うのだと叱られてしまった。
 どうして放射線がバターの生産に影響するのか不思議で調べたが疑問が解けないままだった、今朝新聞を読んだらバター不足でクリスマスケーキ製造に影響すると見出しがあり、記事を読むと昨年夏の高気温が影響し子牛の出生数が極端に下がったから乳量が減少しバターの製造量が極端に少なかったからと書かれていた。牛は暑さに弱いから無理も無い事だが昨年暑かったことなど忘れていた。


マユミ熟れ人近づきて鳥寄れず    枯沼


先に書きました原潜放射線の項は海外からの読者の方々の誤解を生むかもしれませんので削除しました悪しからず。






註) 日本の製菓、料理用など原料用バターの殆どが北海道で製造されていますから放射線の影    響は目下のところありません。福島県で家庭用バター製造ははあっても観光土産品くらい。

2011年11月28日月曜日

ヤツデの花


上水では各所にヤツデが生えている、植栽したものではなく鳥がタネを運んで来たのだろう。
このヤツデが上水の土手に生えていて法面を破壊するらしく上水を管理する水道局が業者を入れて伐採している。
今、このヤツデが花を咲かせて盛んにハチが来ている、このハチの体をよく見ると花粉を沢山つけていて受粉を手伝っている、昔ある本で読んだのだが花の季節ではない冬にヤツデが花を咲かせるのは花が少ないから多くのハチが来てくれて繁殖を手伝ってくれるからだと書かれていた。まさに狙い通りでひっきりなしに体に花粉を付けたハチが何匹もやってくる。
今日は風邪が腹に来たのか家人と同じ症状で胃腸の調子が悪く一日家でじっとしていた、旧知の方が退屈だろうと夕方誘ってくださったのだが申し訳ないがドタキャンしてしまった。


白い花ハチが群がり冬最中    枯沼

2011年11月27日日曜日

玉川上水の秋

何事も無駄が多い世を見た老人の愚痴ですが。


歴史的史跡と言われている、都は史跡と本当に指定しているのか不明で第3建設事務所と云うところは都庁の中でも積極派なんだろう、どんどん自然破壊に励み職務忠実で自然破壊、景観破壊を意に介せずに努めておられる。
写真の左の細い樹木が一本ずつ生えた帯が都の史跡と称する玉川上水。右側は道路をこさえる為住宅や植生を撤去しゴムで雑草が生えるのを防いでいる。この反対側も道路をこさえる為おなじような事をしている。
おかげで野鳥が来る隠れ道が寸断されて鳥がいなくなってしまった、このようにはっきり鳥が来るに樹木の帯が必要と言われている自然界の原則を証明した事実は無いだろう、極端な言い方をすれば都税で自然破壊の荷担をしたと言っても過言ではないだろう。
人が少なくなり更に車を運転する人が公式統計で減少しているのに何故新たな道路が必要なのか、計画した数十年前と情勢は異なっている、東京五輪時代の古文書に従い行政を執るなら考え直すべきだ、一昨年まで野鳥の宝庫だったが昨年からルリビタキが見られず今冬はヤマガラ、コゲラさえ見られないサイレント・フォレストが出来た。




落ち葉さえ見られぬ時代すぐそこに   枯沼

2011年11月26日土曜日

初冬

サザンカ
紅葉を探して歩いたらサザンカの方がきれいだった、紅葉は黄葉が始まったばかり、植生のためか美しいモミジが無い、それは太陽光の照射角度のため色彩が美しくないのかな。
テレビで見る京都や西日本の名所と云われるところはきれいな紅だ。
しかし当地のサザンカは美しい、今を盛りと開花し鳥が蜜を吸いに来るのか地面に花びらが沢山落ちている。気温が高いから落ち葉焚きのイメージが沸いてこない。


山茶花や花びら撒いて鳥経ちて 枯沼