早い話大正時代くらいから始まった喫茶店の元祖らしい、学生の街で流行ったようで高田馬場にもあったと記憶している。ググルとミルクを日本人に飲ませ体位向上を図る目的で明治時代からあったそうだ。
大抵は空襲に合わず関東大震災以降か、震災も免れた建物もあるようで入ると懐かしい感じがするが僕はほとんど行ったことがない。学生時代は小遣いに乏しく余裕がなかったからサテンと呼ばれていた喫茶店も余り行かなかった。
このミルクホールは神田にあるものでこの一体の建物は戦災に遭わなかったような感じだ。
秋刀魚焼くけむり漂う目黒かな
3 件のコメント:
10年ほど前までの僕の勤め先、本社は神田でした。神田の貸しビル内の職場に通ったこともあります。
5年以上も前でしたか、久しぶりに神田へ行く機会があり、変貌ぶりに驚きながら歩き回りました。ちょっと裏通りに、まったく見覚えのないミルクホールというのがありました。
僕が、ウッカリ者で見過ごしていたか、ボケて忘れてしまったか。
食堂か呑み屋が新しい代になって、商売上のアイデアで装いを改めたのではないか、と思ったことでしたが……。
ミルクホールに「ほとんど行ったことがない。」と
書いているところをみると,
ミルクホールで牛乳を飲んだことがあるようにも読める。
いかがでしたか。
わたくしは新鮮で香りの高い牛乳を飲みたくて,
そんな機会があればいつでも注文したいのだけど,
なかなかチャンスがありません。
ISI 様
中には入りませんでしたが復刻版ですか中学時代から古本の昆虫図鑑などを買いに来た時には、あちこちにあったし、空襲で焼け残っているようなのでそう思い込みました。ご指摘感謝致します。
治 様
私が子供の頃は大の牛乳嫌いで入っても絶対に牛乳を飲まないのを。就職が決まり一番驚いたのは貴兄でしたよ。安い色付きジュースだったでしょう。それに本を買うのに費用を回し貧しい中学生は従兄弟など誰かのご馳走になる以外は入れなかったでしょう。
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