僕が初めて紀伊半島へ行ったときは紀勢東線と西線で途中はバス連絡で峠を越えて難所を回避した。それが何処だったか思い出せない、連絡の国鉄バスは途中で待避しながら転落事故が多かったらしい谷を上り下りして全線開通するまで無事故おを誇っていた。
そして那智大社へ行き那智の滝を見た、その滝が今回の豪雨で景観が変化してしまったそうだし神社へも濁流が流れ込んだようだ、復旧出来る被害であれば良いのだが。
紀伊椿だったか紀伊勝浦の温泉で野猿が出るから見に行けと勧められサルの嫌いな僕が断ると変わったお客さんだと言われた、当時やっと餌付けに成功したらしいがそれを昨夜思い出した、昔の事は覚えているが近頃のことは覚えていない。
携帯へヒグラシの声まるい月 枯沼
3 件のコメント:
青森の画家だった人(今は故人で父の友人)那智の滝の絵が家にあります。私が父の遺品で譲り受けました。
あの大自然に囲まれて、ひっそりと流れる美しい形は、もうなくなってしまたのかと思うと、無性に貴重に思えます。
あの峠は「矢ノ川峠」と書いて「やのことうげ」というのですね。珍しい呼び名だったので記憶に残っています。
紀勢線が東西で繋がっていない時代の国鉄バスのルートでした。バスの最後尾に乗って窓から下を眺めたら谷底が見えました。昭和33年のことです。
kanon 様
沖行く船からも綺麗に見えたと義父が語っていました、もうあの形が見られないのでしょうか残念ですね。
ター 様
矢ノ川峠をよく覚えておいでですね、名前の由来は急峻な河の源だったからでしょうか。
あの頃の紀伊は寂しい街でした、学割周遊券とユースホステルの旅でしたが綺麗な海に感激しました。
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