2011年9月2日金曜日

久し振りに見た二百十日

昨日は二百十日でした、二百十日と二十日は台風が来る確率が高いから備えをしなければならないと子供の頃に聞いた、現在12号台風が来つつあるけれど二百十日に台風が来ましたねと何処のテレビでも放送しない。なんでかなと思っていると新聞屋がくれた暦には二百十日、二十日と翌日の十五夜が書かれていた、探して唯一の記載だ。
毎日天気予報で沖合の状況を衛星写真で見せてくれるから暖房にあたりながら台風一号が発生したことを立春より前に知る、それ故にあえて二百十日だと言わなくても台風が接近している事を知り得るから備えを事前に出来て当てずっぽに備えをする必要が無くなり言葉も死語になったのだろうか。
二十四節気だけでなく昔から生活に使われていた言葉は後世のために使ってほしいものだ。


梨が皆我が拳固より大きくて        枯沼




2 件のコメント:

shiro-chan さんのコメント...

梨が大きかったのか、拳固がちいさくなったのか…。二百十日、二十日は我々の子供の頃は日常の言葉でしたね。

さんのコメント...

ゲンコツが小さくなったと詠みたかったのですが5分俳句ではうまく行きません。
そうなんです二百十日はよく使われましたがどうしたのでしょう。