2011年11月13日日曜日

西行

けふのおくわし
古典噺によく聞く西行、僕が古典と言ったら古典落語の事です。
その西行が北面の武士だったのが出家して死ぬまでを放送大学の講義で寝ながら聞いた。古典と話のあらすじは殆ど同じだが、詠んだ詩の朗詠と解釈はきちんとしていたし修行に歩いた先のお寺や古跡の写真が出て来るのが良い。国文科の学生はこのような勉強しているかと知る事が出来た。一流の先生が講義してくださるのを寝床でうとうとしながら聞いているのだ、学生としても僕は教室でうとうとして講義を聴いているだろう。
僕の不明の致すところだが戦乱で焼けた奈良の大仏の修理をするため大仏のメッキに必要な純金を藤原清衡へ寄進して貰いに行ったり途中で源頼朝を訪ねたりしている事を全く知らなかった。
それから驚いたのは
西行は亡くなる十数年前に僕でも知っている有名な詩を詠んでいた
『願はくは花のもとにて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月の頃』※如月の望月=2月15日は釈迦の命日。
願わくば2月15日ごろ、満開の桜の下で春逝きたいと釈迦の後ろを一日遅れてついて行ったそうで自分の死ぬ日をはるか先から花の咲く頃で釈迦の命日に合わせてと思い、それが適うなんて運の良い人だ。そのような謂れのある歌だとは知らなかった、不明を恥じる。



色付かぬ紅葉葉眺め老い進む     枯沼

3 件のコメント:

shiro-chan さんのコメント...

こちらであちらのお返事を(^.^)/ドモドモ

細川家の至宝・・・僕にはその素晴らしさも良さも理解できるほどの教養がありませぬゆえ思いつきさえしませんでした``r(^^;)ポリポリ

治 さんのコメント...

2月15日が釈迦の命日とは知らなかった。,
望月の頃というからには,
夜に死にたいのだろうと思いました。
人里離れた山の中で満月に白く浮かび上がる
満開の桜を愛でながら
人知れず息を引き取るのを臨んでいたのだろう,
すごい人だなあと思っていました。

さんのコメント...

shiro-chan 様

 まあ、そうご謙遜なさらず、二つを一度には行けませんからね。
随分歩かれたのですね、東京の役人は開渠が嫌いなのか蓋をするから困ります。

治 様

 僕も全く知りませんでした。
凄い方ですね、近年にこのような方が現れないのはどうしてなのでしょうね。