オリンピックの想い出
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台北植物園のハス花 |
3回目のロンドンオリンピックが始まった、私の記憶にあるのはヘルシンキオリンピックからでどうやって中継したのか知らないが真空管ラジオでアナウンサーの絶叫が波打つように大きく聞こえたり小さく聞こえたり、或いはシーィとかウォーンという雑音と共に放送内容が十分に理解出来ない状態だった。音が波打つのは海底電線を通ってくるから海の波に電線が揺れるからだとまことしやかに解説する人まで出て来た。欧米の都市で開催されると競技が深夜になり起きているだけでも一苦労だった、テレビも無くて新聞写真も不鮮明で今とは比較にならなかった。日本は戦後暫く食料不足が祟って基礎体力不足と体格が貧弱で殆ど入賞しなかつたから入賞しようものなら大騒ぎで両親兄弟や近所のおばさん、通っていた小学校の担任のエピソードまで故郷の地方紙では載ったほどでアナウンサーも興奮して実況し僕らも手に汗握って聞いていた。
それが今日払暁の開会式ではアナウンサーが過去のように経済的にも時間的にもやっと出て来て放送する緊張感、使命感も無く淡々と地球が一つになるオリンピックですなんてしゃべっていた。
開会を咲く朝顔と共に見て 枯沼
3 件のコメント:
昔僕も、手に汗を握ってラジオ放送を聞いていました。
しかし今は、温度の低い実況のほうが好きです。世界はこれだけ、ほかに大切なことはない、なんて感じのアナウンスには、危険で胡散臭い感じがするからです。
まあ好みや感じ方は人それぞれですが……。
みなさん記憶力がよくて羨ましい(^.^)/ドモドモ
ヘルシンキオリンピックという単語だけは記憶にありますがラジオで聞いたかどうかは記憶に全くありません。ググってみたらザトペックの名前が出てきました。彼が人間機関車と呼ばれていたのは覚えていますけど。
ISI 様
プロレス中継のような絶叫は画像がない時代には恐ろしく聞くものを誘導していたのですねヒットラーのように。
三四郎 様
人間機関車なつかしいです、古橋橋爪選手の自由形は期待でしたが古橋さんは北島君と同じような結果だったと思いますが記憶がもう曖昧ですね。
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