築地の明石町へ出かけた、この一帯(地図のある場所)は明治初期に西洋文明が入って来てこの一帯が居留地となり現在ある古いミッション系大学がここから始まったり緯度経度の記念碑があったり極めて興味深い場所である、写真の地図をクリックしてみて頂ければお分かりと思う。
我が家の二人の子供はここにある聖路加病院で生まれている、これは社宅のあった場所が無医村であったためバスで一番近い病院へ通院したためで歴史とは関係ない。
築地と云う地名は明暦大火の残がいを運びつき固めて埋め立てたから付いた地名でさしずめ東日本大震災の残がいで埋め立てるのと同じであり、明治時代の明石町は最先端の情報基地だったのだろう。今は聖路加病院が大きなツインタワービルを建て昔の病院は面影だけ残っており、歩き回るとxxxxの旧跡とか記念石碑が見られるだけで実物は無い。
もう一つ鏑木清方さんの「築地明石町」と云う題名の切手にもなった絵が有名でした、今思い出しました。
大川も春の陽受けて騒くかな 枯沼
0 件のコメント:
コメントを投稿