2012年2月3日金曜日

我が家は0℃でした

日本列島の90%の地域で今朝の気温が零下に下がったと夕刊に掲載されていた、一番下がったのは昼のニュースではー32.9℃北海道歌登町、この町は僕が勤務した工場のある町の東隣にある町で何れも酪農が主産業。
我が家は午前7時で0℃でしたが歌登の今朝の気温は冷凍庫へ入った庫内温度と同じで魚や肉が貯蔵されています。0℃は寒いと感じますが零下20℃を過ぎると寒いより刺すような痛さを僕は感じました、そしてシャキッとした寒さでした。
この町に勤務した時真冬に東京へ出張したら寒い事寒い事、特に家の中の温度が低いので寒かった事を思い出します、北海道では大きな石炭ストーブをガンガン焚いて家中の凍結を防いでいましたから。


零度指す赤い帯冴え息白く    枯沼

3 件のコメント:

三四郎 さんのコメント...

五郎さんの家も玄関は二重扉でストーブがガンガン燃えていましたね、そういえば。

さんのコメント...

三四郎 様

 玄関は下屋と呼ばれる風除室があり
雪装束を整えて外出しまし、装束を脱ぎました。ガンガン焚かないと部屋の中が凍結して来ます。最初の冬、知らないで東京と同じように焚いていたら1ケースビールが凍るし野菜がカチカチになり大変な思いをしました。
知らないって恐ろしい事です。

ISI さんのコメント...

亡くなったお袋は、晩年北見の弟の家に居ました。
寒くなると判った夜は、台所に転がしてある根菜類などは、冷蔵庫にギュウ詰めにするとか。少なくとも凍らないからです。
今は住宅事情も良くなりましたが、昔は下屋を作るとか、二重窓があるなどは一部のいわばエリートの家です。断熱材などむろん無く、道央の一部、道北、道東の庶民の家は、夜中何とか火の気を絶やさないようにはしても、朝吐く息がかかる布団の襟が良くバリバリに凍っていたものでした。