理科年表で見ると年間平均気温7℃の場所で暮らしていた時、地元紙に小学校で先生が氷が融けたら何になるかと試験問題を出した、教師は水と教えたつもりだがある女生徒が春になると回答したと掲載されていた。
僕は生まれて初めて河川も凍りつき流れが止まり雪は二階まで届く位積り昼間でも零下10℃が続き立木が凍りつき割れる信じられない世界で暮らした時だったのでまさに正解だと思った。幼い時から雪と氷の世界に暮らしてきた彼女には春が来るのだと刷り込まれ、そのようにしか思えなかったのだ。
寒い季節になるとこの記事を思い出すから以前に同じような事を書いたかもしれない。
写真は寒さなんて関係ないとばかりに水浴びするメジロ、周囲では順番を待っています。
大寒や何処をさ迷うルリビタキ 枯沼
4 件のコメント:
小学校5年生まで、いま豪雪がニュースになっている岩見沢まで国鉄(当時)で30分ばかりの、美唄市茶志内の炭鉱に居ました。中学高校の頃居た芦別、金山などは、極寒が話題になっている旭川まで、国鉄で1時間半ほど。
いま住んでいる船橋は平凡な首都圏の周辺地だと思いますが、保養地のような気もします。この歳で、もう放射能も怖くないし…。
子供の頃住んでいた豪雪、極寒の各地では、頓知クイズとして「雪が融けたら、春になる」というのがありました。
ISI 様
北緯45度を売り物にしたらと町の観光協会の方々に申上げた中頓別にいました。
トンチであったのですか道新朝刊の文化欄に
掲載されていたと記憶していますがちょうど 30年前の出来事でして紹介記事のようでした。記者が僕のように内地の生まれで知らなかったのでしょうか。中頓別は素晴らしい町で
化石、メノウ採取、ヤマメ釣りと仕事でも成果を上げられた町でした、今でも家族でおつきあいしている町です。
写真、いいですね!微笑ましい。
ター 様
そうですか有難うございます。
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