2011年8月30日火曜日

運動場の水撒き

新しく出来た小学校の運動場前を通ったらここも舗装していない、僕が学んだ都内の小学校は何処も舗装されていた。中学、高校はさすが舗装してなかったので冬場の体操は霜柱と午後からは霜柱が溶けてぐちゃぐちゃだったし異常乾燥が続くと乾風でホコリぽくていけなかった。
この学校ではちょうど散水器で水撒きをしていたがすごい威力で100m以上離れた校門まで水が来る、たぶん火災の時には消火に使用する目的もあるのだろう。






 アキアカネ戻り来て空やや高し       枯沼

3 件のコメント:

ISI さんのコメント...

僕は子供の頃、大都市の学校の運動場は舗装されていると風の噂に聞いて、信じられませんでした。
首都圏周辺の当地(船橋)でも、今でも舗装しているところは見当たりません。コンクリートでもアスファルトでも、子供の運動場で舗装しなければならないというのは、不幸なことではないでしょうか。

征郎 さんのコメント...

私も、場末とは言え、都内の小学校だったけど、舗装?スパイクはいて野球やってたから、なかったんでしょうね。後は、部分舗装だったかな。
終戦後舗装してあったということは、戦前から舗装してあったのかな?爆弾でボコボコだったとも思えるけど・・・・

さんのコメント...

ISI 様

 僕が通った二校は戦前からの小学校で周辺は住宅が取り囲んでいましたから多分武蔵野名物からっ風で砂塵が飛び込むと周辺から苦情が来たし霜柱で体操の授業が出来なかったから何処でも舗装したのでしょう。
しかし今の小学校の運動場を見ると運動出来るように固めて整備されています、砂塵だけは防ぎようがないので散水していると思います。
空っ風については井伏鱒二氏の荻窪風土記をご覧になると如何に凄かったか書かれています。
征郎 様

 最初の滝野川第二小学校、転校した戸山小学校ではゴムまりで三角ベースとかゴロベースで運動靴でしたよ。
スパイクを履いた野球は中学の野球部だけでした。
いずれも空襲で校舎は焼けて修復或いは建てなおされたバラック校舎でした。
今度戸山小学校へどうなっているか行って来ます。